大岡信とは?代表作「言葉の力」は教科書に。「折々のうた」でも有名な詩人は三島のことば館で

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2017年4月5日夕方頃、訃報が飛び込んできた。詩人の大岡信が亡くなったようだ。

 

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大岡信とは?

そもそも大岡信を知らない人もいるだろう。大岡信とは一体どんな人物なのだろうか。

1931年(昭和6年)、静岡県田方郡三島町(現・三島市)生まれ。父は歌人の大岡博。

旧制静岡県立沼津中学校(現・静岡県立沼津東高等学校)を経て第一高等学校 (旧制)、東京大学文学部国文科卒業。

学生時代から詩人として注目され、読売新聞社外報部記者を経て明治大学教授となる。

1979年(昭和54年)より2007年(平成19年)まで『朝日新聞』で『折々のうた』を連載。菊池寛賞、読売文学賞など受賞多数。日本ペンクラブ11代会長も歴任。

大岡の詩は英語、オランダ語、フランス語、ドイツ語、中国語、スペイン語、マケドニア語に訳されている。連歌や連句に倣い、現代詩人たちが共同で詩を制作する「連詩」を1970年代初めに提唱し、精力的に連詩制作を行ってきた。連詩集として『揺れる鏡の夜明け』や『ファザーネン通りの縄ばしご』、『What the Kite Thinks』などを出版している。

詩歌や美術に関する評論も数多い。1959年(昭和34年)に、日本の現代美術画廊のパイオニア「南画廊」の社主・志水楠男の依頼で「フォートリエ展」カタログ作成に協力したのを機に、サム・フランシス、ジャン・ティンゲリー、瀧口修造、加納光於といった作家たちと交流、共同制作をするなど現代美術との関わりは深い。また、1962年(昭和37年)に武満徹の管弦楽曲のために「環礁」を書き下ろして以来、クラシック音楽の作曲家ともたびたび共作している。

一柳慧とは合唱曲「光のとりで 風の城」やモノオペラ「火の遺言」、木下牧子とは合唱曲「なぎさの地球」などを生み出した。

2009年(平成21年)、静岡県三島市に「大岡信ことば館」開館。

九条の会に賛同する「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている。

2017年4月5日、呼吸不全のため死去。

参照:Wikipedia

大岡信の父が歌人であることもあり、常に詩には触れてきたのだろう。学生時代から詩人として注目を浴びていた大岡信は順調に詩人の道へと進んで行った。

大岡信という名前を初めて聞いた方もいるかもしれないが、彼の代表作は学校の教科書に載っていたこともあり、タイトルや詩の内容は覚えているという方もいるだろう。

また大岡信の家族もことばや芸術的センスがあるようだ。

大岡の妻は劇作家の深瀬サキ。長男の大岡玲は芥川賞作家で、長女の大岡亜紀は画家、詩人でもある。

 

代表作「言葉の力」は教科書に。

大岡信と言えば、代表作、「言葉の力」だ。学校の教科書にも掲載されていたことがあるため、本や活字をあまり読まない人や、詩に興味がない人でも一度は目にしたことがある、ということも珍しくないだろう。

筆者は教科書では見た記憶がないが、一度は目にしたことがある。だがその程度で、大岡信のことについてはよく知らなかった。

そこで一度、彼の代表作、「言葉の力」を読んでいただきたい。

  言葉の力        大岡 信

 人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。

 京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。

「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」

と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

 私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

 考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

 このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。
                                   (中学校『国語2』、光村図書出版)

参照:http://www.za.ztv.ne.jp/iguchi/monooki/kotobanotikara.html

 

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大岡信は「折々のうた」でも有名

大岡信は「折々のうた」でも有名だ。「折々のうた」とは朝日新聞の第1面(トップ)に掲載されたコラムで、彼は朝日新聞の創刊100周年を記念して依頼を受けたという。1979年(昭和54年)の1月25日から今から10年前の2007年3月31日まで約30年間掲載された。その間、毎日連載されていたわけではなく、2年や1年連載しては1年休載するといったペースで6762回分もコラムも書き続けた。

単純計算で6762回を1年の365日で割ると、18.526。つまり約18年半分もコラムを書いていたことになる。

「折々のうた」のコラムは200字程度と少ないスペースではあるが、日本語(翻訳を含む)の短歌、俳句、漢詩(読み下し)、川柳、近現代詩、歌謡のなかから、毎日1つをとりあげ、それに対する解説を行ってきた。

また引用する作品は2行までで、解説部分は180字までという制約もあったようだ。

たとえ200字とはいえ、限られた文字数で毎日のようにコラムを掲載するというのは考えられない。これは大岡信だけにしかできないようなことではないだろうか。ましてやそれが新聞のトップに掲載されるというのは、海外でも考えられないことだったようだ。そのことについては彼自身が語っていたことがある。

 

詩人・大岡信を知ることができる!三島の「ことば館」

大岡信は静岡県の田方郡三島町(現在は三島市)生まれで、生前より、地元の三島に「ことば館」という大岡信の業績を紹介している文学館が建っていた。ただしくは「大岡信ことば館」。

 

 「大岡信ことば館」の住所

〒411-0033
静岡県三島市文教町1-9-11 Z会文教町ビル1,2階

 

ここでは大岡信の業績を紹介しているだけではなく、「君の名は。」や「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」などでも有名な新海誠監督が特別展を開いたりしたこともある。そのほかにも宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をアニメーション化した特別展を開催していたこともある。

 

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